なもり先生の『ゆりゆり2』が発売された。前作の『ゆりゆり』から実に7年も経ている。
『ゆりゆり』はなもり先生のオリジナル同人誌を短編集としてまとめたもので、『ゆるゆり』が”ゆるいゆり”なのに対し『ゆりゆり』は”ガチ百合”などと呼ばれていた。
私はゆりゆりには少し思い入れがある。というのもちょうど私に百合にハマり始めた時期に出会った作品だからだ。
ガールミーツガールが始まり、そして添い遂げる。その多幸感に耐え切れず、一話読み終わるたびに布団で足をバタバタさせていた記憶がある。『ゆりゆり』は百合に足を踏み入れた私を百合の世界へと一気に引き込んでくれた作品だ。
ところでこの漫画の帯には「ゆるくない、ゆり」とある。 ゆるゆりの「ゆるいゆり」に対して百合度が高いという意味にしては少し字面がおどろおどろしすぎる気もする。 一体どういうことだろうか。
収録されている5作中、3作を読んだ。
こういうのだよ、こういうの。
二人の女子高生が出会い、間に色々ありつつも最終的に結ばれる。学生百合としてはシンプルかつ王道のストーリー。故に甘酸っぱくて爽やか。
なもり先生の描く少女たちは表情豊かで恋に前向きだ。眩しいくらいに輝きながら恋する喜びを謳歌している。
あまり特徴的なキャラやひねった展開はないが、読み応えはしっかりとあり、なもり先生の技量の高さがよくわかる。
特に三作目『奈央と千佳の場合』、良かった。自分を偽ってしまったことで好きな子と距離が近づくたびに罪悪感と板挟みになる女の子。適度にコメディが入ることで暗くなりすぎないのもなもり先生らしい。
そういえば『ゆりゆり』、こういう感じだった。久々に実家に帰り、昔通っていたラーメン屋に行ったらいつもの味が出てきた、そんな懐かしい気分になった。
4作目、『恵真と翠の場合』を読む。
物語は一人の女子高生が髪を抜いている場面から始まる。
ストレスで髪を抜く女。そんなリアリティのある病み方をした人が『ゆりゆり』に登場していいのだろうか。どうか枝毛を裂いているだけであってほしい。
そこへ彼女と思われる女の子が登場する。ほう、もう既に付き合っているのか。それはとてもいい。
しかし、読み進めていくにつれて、二人の本当の関係性が明らかになる。髪を抜いていた理由がわかってくる。するとこれまでの物語と何かが決定的に違うことに気づき始める。違う、これは愛の物語なんかではない。決してハッピーエンドになど向かってはいない。
そう気付き始めた時にはもう遅い。物語は坂を転がるように救いのない結末へと落ちていく。
5作目『夏樹と梨花の場合』もすごい。
周りには秘密で付き合っている二人の女の子。
どこか不穏な空気を残しながらも、この話は些細なすれ違いを持ったカップルの痴話喧嘩で終わるかと思われた。しかし、最後のページの最後のコマによって話が全てひっくり返る。慌てて読み返す。何気なく幸せな日々が鮮やかに狂気へと変わる。
3作目までにあったハッピーエンドへの信頼はもうない。
幸せな読後感も存在しない。あるのは荒野に一人放り出されたような寂寥感だ。すがれるものはない。
しかし何故だろうか、その読後感が心地よく思ってしまうのは。確実に心をえぐられたはずなのにその傷跡すら気持ちいいと感じてしまう。そんな闇の魅力がこれらの作品にはある。
一歩間違えれば胸糞悪い鬱になりそうな話がドロ百合にまで昇華されているのは、これもなもり先生の技量の高さあればこそだろう。鬱話とドロ百合は似たようにみえて得られる感情が正反対だ。
なもり先生は昔6ヶ月の間、百合姫の表紙を担当したことがある。
とある物語の1シーンを切り取るように描かれた表紙は別の月の表紙と話が繋がっており、それらを追うことでストーリーが毎月展開されていくというものだった。そこで描かれたのはゆるゆりのキャッキャウフフとは打って変わって少女同士の非常にドロドロした人間関係であった。
そこで明らかになったなもり先生のドロ百合の才能がこの短編でも余すことなく発揮されている。なもり先生のかわいらしすぎる絵柄は静かな狂気の表現にあまりにも向きすぎている。
それはわかるんだけど短編集の途中でそれが切り替わるなんて斬新なことあります???