友人の熱意が生んだ小さな奇跡の話

友人の熱意が生んだ小さな奇跡の話

友人からツイッターのアカウントを貸して欲しいと連絡が来た。

ネットで書いている時代から応援していた作家のデビュー作がしばらく前に出版されたらしい。 だが出版日はどうしても外せないテスト週間とガッツリ被ってしまったため、彼はその本を少し遅れて手に入れたが目当てであった店舗特典のリーフレット付きのものは既に売り切れていたという。

彼は様々な店舗を駆け巡ったが時すでに遅し、店舗特典はどこにも置いていなかった。

初めから予約をしなかったのは自分の落ち度だがどうしても諦めきれないためツイッターで譲ってくれる人を探したいのだという。

 

 

んなアホな、と思った。

ツイッターは取引の場ではない。 物々交換なんてごく一部の界隈でしか行われていないし、一筋の望みに賭けるとしても相当影響力のあるアカウントを持ってなければ難しい。無理だ。

私はそれを伝えたが彼はなかなか折れなかった。 私は折れた。

要は自己満足の世界なのだろう。 少しでも可能性を残した状態で諦めたくないのだ。 やれることを全てやるまでは自分を納得させられないのだろう。

その気持ちはわからなくもない。 ならば気の済むまで足掻いたらいい。

ほぼ使っていなかったアカウントを一つ貸し、二人で共同運用することになった。

 

 

『◯◯◯の特典を譲ってくれる方を探しています 詳しくはDMで連絡ください。』

怪しさ満点の投稿が投下された。

 

その日のうちに彼から怒りのラインが来た。「全然こないじゃねーか」

そりゃそうだ。フォロー5フォロワー0なんだから。フォロワーのいないアカウントのつぶやきを誰が見るというのか。 友人の祈りはそもそも誰にも届いていないのだ。

万が一特典を持っている人物の目に入ったとして、こんな怪しげな捨て垢にDMするわけがない。 今の状態で私たちの元へ連絡が来る可能性は限りなく0に近い。

 

 

生活感を出そうというアドバイスをした。

業者やbotと思われないよう血の通った人間のアカウントにしよう。 ちゃんと作品が好きだということもアピールした方がいい。

とりあえず友人はそのジャンルで著名な人たちをたくさんフォローした。

他のつぶやきがないのもさすがに怪しい。 私たちがちゃんと生きたアカウントだということを示す必要がある。

友人はそのジャンルの話題についてつぶやき、私は特につぶやくことがなかったため好きなVtuberについてつぶやいた。

こんな感じで捨て垢を人間のアカウントに改造しつつ、リツイートやリプといったツイッターのシステムや習慣を友人に教えていった。

 

 

数ヶ月後。

私たちは飽きていた。 例のアカウントは動きが無くなり、私たちが話題にすることもなくなっていた。

友人もツイッターをやっているうちにいかに無謀なチャレンジだったのかを理解したのだろう。 私は元々こうなるだろうと思っていた。

友人の気が済んだのなら目的は一応達成されてはいる。 私たちはアカウントを覗くこともしなくなっていた。

 

 

あるときふとツイッターを見ると例のアカウントに通知が来ていた。

覗くと例の募集ツイートがリツイートされていた。フォロワーもいないのに一体誰が。

 

作者だった。

 

私は驚き焦った。 もしかしたら悪質な転売ヤーと勘違いされて晒しあげられたのかもしれない。

急いでプロフィールを見に行った。

悪意のリツイートではなさそうだった。 それどころか「どなたかお持ちの方、譲ってあげてください」とのツイートがあった。 善意のリツイートであった。

誰にも届くはずのなかった友人の声はネットの海を越えて作者本人に届いたのだ。 そしてこの作者は死ぬほど特典が欲しくてもがき苦しんでいる友人を憐れに思い情けをかけてくださった。

それだけでも十分すぎるほどなのに、自分は現物を持っていないので協力できず申し訳ないとすらおっしゃっていた。

どこまでいい人なんだ。 捨て垢にしか見えない友人にここまで尽くしてくれる姿はまるで仏のようだった。

 

 

慌てて友人にラインをした。

今年一番笑ったと来た。 私も同じだった。 人は驚きすぎると笑いが出てくる。

せっかくの機会だからこの流れでファンレターめいたものを送ろうということになった。

尊敬しているクリエイターにいきなり応援メッセージを送るのには勇気がいる。 今の勢いのままいけば熱いファンレターを送れるのではないか。

今この時を逃せば次のチャンスはおそらく二度と来ない。

 

 

今まで応援してきたこと。好きなところ。これからも頑張ってほしいということ。

書こうと思えばいくらでも書ける。 しかし量をぶつけて作者に圧をかけてしまうのは良くない。 文字数限界までびっちり詰まったリプがいくつも来たらさすがに重いし怖い。

2ツイートくらいならちょうどいいのではないかということになった。

友人は280字の中に想いを詰め込み、私はそれを添削した。 無数のやり取りは深夜にまで行われた。

完成したただのファンレターは作者が通知で起きてしまうことのないよう翌朝に送られた。

 

 

感想等が作者の目に入ることはツイッターではそう珍しくない。 私も百合漫画についてのつぶやきに作者から反応が来た経験は何度もある。

大事なのは友人の諦めない心が私を動かしツイッターを動かし作者に直接届いたということだ。 動機となったその熱意に私は感動した。

私たちは結局望むものは得られなかった。 だが小さくとも大切なことを学ぶことができた気がする。

行動を起こしてさえいれば何かにたどり着くのだと。

 

私たちは今でもたまに「あれは熱かった」と、あの夜に起こった小さな奇跡を思い出しては盛り上がっている。

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