検証!あの子のまつげは何故長いのか

検証!あの子のまつげは何故長いのか

 舞台は学校の廊下。教室移動中に足がつんのめってしまった〈私〉は、勢いあまって前にいたクラスメイトを床に押し倒してしまう。顔を上げれば吐息がかかる距離にその子の顔が。違うグループで話す機会もないし、顔もじっくり見たことなかったけどよく見たら可愛い顔……ていうか、えっ、まつげ長……。

 百合作品を読んでいてこのようなシーンに出くわしたことはないだろうか。そう、気になっているあの子のまつげの長さに気が付くというシーンだ。

 百合作品ではよく見かける場面なのだが、あるときは買った六冊の百合漫画の内、三冊でまつげの長さに気が付くセリフが出てきた。さすがに気が付き過ぎじゃないか。

 やたらまつげばかり着目されているが、あの子の可愛さに気が付いたという話なら別にまつげである必要はない気もする。柔らかそうな唇とか、スッと伸びた鼻筋でも話の流れは大きくは変わらないはずだ。であれば、もっと他にバリエーションがあってもいいのではないか。しかし、これだけまつげのシーンだけが頻出であることを考えると、きっとまつげでなくてはいけない何らかの理由が存在するのだろう。

 この論考では、百合好きなら一度は目にしたことのある、あのシーンの謎に立ち向かう。〈私〉と〈あの子〉の間に一体何が起こっているのかを考えることで、「どうしてまつ毛の長さに気がついたのか」「何故まつ毛なのか」「何故百合作品でこんなにも頻出なのか」といった問いを解き明かしていきたい。

 

検証!あの子のまつげは何故長いのか

まつげを認識するためには何が必要か

 まず初めに確認しておきたいのが、まつげの長さは気が付きにくい可愛さであるということだ。

 エクステとかつけまつげはどうなんだ、という意見もあるかもしれないが、ここでは人工的なまつげの可愛さは除外する。もしまつげを加工しているのであれば「ばっちり盛れてるつけま」という感想になるはずであるし、そもそも目立たせるためのオシャレは遠くからでも認識でき、わざわざ顔を近づけて改めて発見するものではないからである。

 日常生活の距離感ではナチュラルに長いまつげの発見はなかなか起こりにくい。あなたは自分の先輩や上司のまつげが長いかどうかを思い出せるだろうか?私はどんな目の形をしているかすらも思い出すことができない。一応目上の人ではあるので目を見て話しているつもりではあるが、「ていうか……まつげ長……」という感情は抱いたことがない。特に意識せずに人と接しているだけでまつげのシーンが発生するわけではなさそうだ。

 普通の距離感でまつげの長さに気が付かないのであれば、たまたま二人の顔の距離が近かったからその発見に至ったのだろうか?

 ここで重要となってくるのが、あのシーンのやりとりは〈私〉と〈あの子〉の間でのみ発生することが多いということだ。〈私〉がどれだけ人に囲まれていても、時に友達と抱き着くような密着したスキンシップをとっていたとしても、「まつげ長……」とはならない。顔が近くなることが条件であるなら、百合作品はまつげの長さに気が付くシーンだらけになってしまう。単に距離感が近いからという問題でもなさそうだ。

 

実際に現場を見てみる

 ①〈あの子〉と接する。②距離感が近くなる。これだけではまだ条件が足りない。例のシーンが発生するためには、まだ何か他の理由がありそうだ。さらなる検証のため、私たちは現場を学ぶ必要がある。実際に漫画の場面をいくつか見てみよう。

 まずは百合漫画界の金字塔と名高い、森永みるく先生の『GIRL FRIENDS』を見てみる。簡単なあらすじ付きで一連の流れを紹介する。

 主人公の真理子は、ある日隣の席の亜希子から声を掛けられる。それまで接点のなかった二人は、これを境に急速に親しくなり一緒に遊びに行くほどの仲へ進展。そしてある日、亜希子が真理子を家に招いた時のことだ。亜希子は突然、無防備な真理子をベッドへと押し倒した。そのとき、半裸で押し倒された真理子が、迫る亜希子の目を見てふと心に浮かんだ言葉が、「わあ…まつげ…ながーい…」[1]である。

 ハプニングが生み出した非日常的な距離感の中でまつげの長さを見つける。これぞ王道といえるパターンであり、私がまつげのシーンと聞いて思い浮かぶのはいつもこの場面である。ここでは好意的な感情と共に描かれているが、まつげの長さに気が付くのは仲のいい子とは限らない。他のバリエーションも見てみよう。

 次は、江島絵里先生の『対ありでした。~お嬢様は格ゲーなんてしない~』だ。これも簡単なあらすじ付きで一連の流れを紹介する。

 元格ゲーマーの綾は、ある日、学校中の憧れの存在である白百合様がこっそりと格ゲーに興じているところを目撃してしまう。それ以来、彼女に目をつけられていた綾は、ついに彼女からの対戦の申し込みを受けることになる。例のまつげのシーンが起きたのは、二度目の対戦の時だった。

 決戦の舞台は真夜中の寮室。白熱した試合が繰り広げられる中、人の気配を感じた二人は急いで同じ布団の中に隠れ、図らずも互いを見つめ合う体勢になってしまう。視線の先で息をひそめる白百合様に対して綾の心に浮かんだのが「無駄にまつ毛長いなこいつ…」[2]だ。

 過去に一悶着あって格ゲーを引退した綾は、現役格ゲーマーである白百合様に対して異常ともいえる執着と闘争心を抱いており、対戦の動機も彼女の心を折り二度と格ゲーができないようにするためである。逆恨みに近い感情はどう考えても好意とは程遠く、『GIRL FRIENDS』と比較すると対照的ともいえるが、綾はしっかり白百合様のまつげを認識している。

 この二つのシーンは、飛び交う感情もシチュエーションも異なる。二人の関係性も全然違う。しかし、そこにはある共通点が存在する。

 それは真理子も綾も以前から相手のことを意識していたという点だ。真理子は亜希子に声を掛けられてからというもの、自分に対して異様にかまってくれる彼女のことで頭がいっぱいだった。綾も白百合様に対して理想のお嬢様としての憧れ、そして調子に乗った格ゲーマーとしてのいらだちを強く抱いている。その動機が好意的なものであれ敵意的なものであれ、どちらも相手の存在をかなり意識していたことがわかる。

 強い意識を持っていれば対象を見つめてしまうのは自然な行動だ。真理子も綾も相手への意識によって普段から視線を送っていたことだろう。そしてハプニングが発生し相手との顔が近くなる。本来、パーソナルスペースを侵食するほど他人に接近し過ぎた場合、人は視線を外そうとする。至近距離で相手の目を見つめる行為はプレッシャーを生んでしまうからだ。しかし、彼女たちは目を逸らさなかった。

 何故か。それは無意識で相手にも自分を意識してほしいという欲求が存在しているからだ。視線にはその人の持つ感情が表れる。目を見つめるという行為はその瞳に映りたい、つまり相手にも自分を見てほしいという願望の表れである。至近距離で目が合うというハプニングはたまたま起こったのではなく、彼女たちが動機を持っていたことで発生した必然的な出来事であったといえるだろう。また、目を見ている以上気が付くのは当然髪や唇ではなくまつげとなることもわかる。

どうしてまつげの長さに気が付いたのか

 目を見る理由はわかった。ではまつげの長さに気が付くのはどんな意味があるのだろうか?ここで一度恋愛における特別について考えてみたい。

 人を好きになるとはすなわち、特別を見つけることと言い換えられる。初めは顔がいいとか、誰に対しても分け隔てなく接する優しさだとかいった、誰もが知るその人の長所を好きになり、それを愛するようになる。

 しかし、その人を深く知るにつれて惹かれていくのは他の人には知られていないチャームポイントだ。それはたまにだけ見せる子供じみたわがままであったり、朝のひどい寝ぐせであったりする。

 長所と言えるようなものでなくても惹かれてしまうのは、それが自分にとっての特別であり、相手との新たな繋がりとなるからだ。弱音を吐き出してもらうことで距離が縮まったように感じるのも、その弱み自体が自分にとっての特別になるのと同時に、相手にとって自分が特別な存在であることがわかるからだ。そして積もり積もった特別はやがて二人の関係自体を特別へと変える。

 このようにして考えると、あの子の長いまつげも特別の一つであるということがわかるだろう。重要になるのはその発見に含まれる”意外に長い”というニュアンスだ。これはキューティクルの整った長い黒髪やモデルのようなプロポーションといった皆に共有されている可愛さではなく、みんなは気づいていない、私だけが知る可愛さだということを示している。まつげの長さは正に特別と呼ぶにふさわしいチャームポイントなのだ。

 大人気を博した、仲谷鳰先生の『やがて君になる』ではまつげの特別さを逆手に取った場面が存在する。好きという感情を理解できず孤独感を抱えていた侑は、同じく他人を好きにならないという先輩燈子と出会う。同じ境遇の人間を見つけて安心したのもつかの間、人を好きにならないと言っていた燈子はなんと侑に恋愛感情を抱いてしまう。人を好きにならない侑とそんな彼女を好きな燈子。

 そんな二人の間で例のシーンがどう描かれるのかというと、燈子にキスを迫られた侑は顔を近づけられた直後、ただ一言「まつげ長いな」[3]とだけ感じるのだ。何の感情も伴わないシンプルな感想。侑が発見したのは『燈子のまつげは長い』というただの事実だ。特別を見つけるはずのまつげのシーンが描かれることで、侑の中に燈子への特別が存在しないことがよりひしひしと伝わってくる。

 

 そもそも何故、まつ毛の長さに気が付くシーンが生まれたのだろうか。それは百合の中に表れる感情が、実に複雑であることが関係していると考えている。

 女の子がある女の子をつい目で追ってしまうということがあったとして、これは恋と判定できるだろうか。さすがに早計だろう。

 「優等生ぶりやがって、気に食わねぇ」という怒りの感情かもしれないし、「いつも一人でつまんなさそう」という哀れみであるかもしれない。あるいは、「なんかつい見ちゃうんだよね」という本人も分析不可能な感情かもしれない。それらは単一で存在しているのではなく、その他様々な色を持った感情と共に混沌となって心の中でうずまいている。それらは物語が進むにつれて、変化しぶつかり合って混じり合い、やがて好きという感情へと移ろいゆく。割り切れない気持ちをどうにかして飲み込み、前に進もうとするとき、そこにドラマが生まれる。その複雑な過程こそ百合の醍醐味の一つであり、私が尊いと感じているものの正体だ。

 その中でまつげのシーンはそのさまざまな感情の行き先が恋へと変わる最初の小さな分岐点のような役割を果たしているのではないだろうか。彼女たちの気持ちを断定することなく暗にほのめかす程度にとどめることで、ドラマの中にわびさびを生み出しているのである。この奥ゆかしさこそ、長きにわたり多用されてきた理由なのではないかと思う。

最後に

 まつげのシーンはそれ自体が物語を大きく動かすことはない。場合によっては小さなコマの小さなふきだしでそっと添えられているだけのときもある。

 しかし、だからこそいい。〈私〉も〈あの子〉もまだ自分の感情に気が付いていない状況で、ウグイスがささやかに春の訪れを告げるように、あの子の長いまつげが恋の始まりを告げるのだ。

 

参考資料

[1] 森永みるく(二〇〇八)『GIRL FRIENDS (1)』p.58, 双葉社.

[2] 江島絵里(二〇二〇)『対ありでした。~お嬢様は格ゲーなんてしない~ (1)』p.148, KADOKAWA

[3] 仲谷鳰(二〇一六)『やがて君になる (2)』p.27, KADOKAWA.

 

 

百合論考vol.01に寄稿しました

以上は私が合同誌『百合論考vol.00』に寄稿させていただいた論考です(ちょっと加筆修正しました)。初めての論考は非常に難航し、当初はまつげのくだりをビッグバンになぞらえる予定でしたが、翌日の自分によって却下されました。正しい判断だったと今でも思います。

なぜこのタイミングで公開したかというと、次回のcomitia(9/2)で百合論考のvol.01が出るからです。というわけで宣伝します。今回も寄稿させていただきました。

テーマは、もちろん、おねロリです。せっかくの論考、自分の一番好きなものでいくべきなので。

今回は、商業おねロリの歴史を紐解くことで、おねロリの本質(おねロリとは一体なのか?)に迫ろうという試みです。

おねロリの歴史はビルドアンドスクラップの連続。ジャンルの動きに着目することで、奥に潜む本質を暴こうという試みです。おねロリのダイナミズムが少しでも伝われば嬉しいです。

 

百合論考は、読んで字のごとく百合の論考です。

これは私自身の意見です。百合界隈では一昔前から「何を百合と思うかは人それぞれ」という考え方が共有されつつありますが、じゃあみんな自由に百合を語っているのかというとそうではありません。かえって百合について語ることは忌避されている、そんな気がします。

とはいえ、だからこそ、人がガッツリと百合について語ってるところ、気になりませんか。

続きは百合論考vol.01、9/2(日)のcomitia N28bにて!

 

↓kindle、boothでも取り扱ってるそうです。

https://102202.net/publication/yuri01/

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