ふたりべやが面白かったよーと言いたいだけの記事。
先日百合のオフ会できたかわをおすすめされ、見事にハマった記事を書いたが、きたかわと同じくおすすめされることが多かったのが、ふたりべやだった。
百合好きにおすすめされては読まない理由がない。きたかわと同じく秒で全巻買った。
百合カフェオフ会でふたりべやときたかわ推しが多かったので全巻買ってきた
ふたりべや1巻がないよ ふたりべや1巻がどこにもないよ
ふたりべや1巻がないよ ふたりべや1巻がどこにもないよ
※以降繰り返し pic.twitter.com/2hi9dgN7qf— セイジロウ / 百合好きキツネ属🦊 (@seijirolilly) May 4, 2022
ストーリーはとてもシンプルだ。同じ高校へ入学し、学生寮で同室となった二人の女の子の同棲生活を描いている。同じ部屋に二人で住むから『ふたりべや』だ。
ふたりべやには、”時が進む”という概念がある。
話が進むにつれて作中の時間が流れるのは当たり前のことではあるが、この作品の場合は時間の流れ方が他の作品とは違っており、そこが面白いのだ。
普通の漫画の場合、時の流れの速さはストーリーに合わせて変わる。夏休みが始まり、夏合宿のいざこざに1巻まるまる割かれたかと思えば、秋が1話で終わり気づけば話が入学式になっていたりする。話の進行速度はストーリーの匙次第であり、そこで流れる時間を私たちは感じることができない。
しかし、ふたりべやでは現実と同じく一定の速度で時が流れていく。
季節は決まった周期で訪れ、同じ季節は2度訪れない。1年たてば2人は1つ歳をとる。春夏秋冬を繰り返しながら二人は次の年へ進んでいく。バッサリと切った桜子の髪が徐々に伸びていることに気がついた時、なんてすごい漫画だと思った覚えがある。
高校へ入学した二人はやがて受験生になり、互いに受験を乗り越えた後同じ大学へ進学する。新歓の季節が訪れ、大学生活を謳歌している内に卒業が近くなってくる。私たちと同じ時を過ごす二人のリアルな空気感、二人の人生のステージが上がって行く様子、これが学生百合とも同棲百合とも違って私はたまらなくいいと思った。
ストーリーに合わせて時が進んでいくのではなく、元々そこに二人の人生が流れており、その一部を『ふたりべや』として切り取っている。そんな感じがした。
多分刊行ペース的に現実と同じ時間が作品内でも流れていて、きっと昔からふたりべやを追い続けている人はずっとこの二人と同じ時を過ごしてきたんだろうな。私は高校入学から社会人編までを1ヶ月で読んだので、気分的には昔のアルバムを一気読みしたような感じだった。気がついたらすくすく育っているという意味では甥や姪の存在にも近いかもしれない。
なぜふたりはこんなにもずっと一緒にいるのか?二人はその理由をはっきりとは口にしない。
出無精と世話焼き。面食いと美少女。相性が良かったと言ってしまえばそれまでだがあえて言葉にしない、”なんとなく”の距離感がすごく心地よい百合だと思った。
そしてここから先は9巻の途中の時点で書いた文章です。9巻の最後でアレがあったので、なんか今読むと色々違うんですが、消すのもアレなのでそのまま残しています。トンチンカンなことを書いていますがご容赦ください。
大学を卒業し社会人になった二人は新たな場所でも当然のように同棲を始める。そうすると百合好きとして「付き合わないのか・・・?」とつい思ってしまうのは、不自然なことではない。
桜子とかすみは恋人ではないが、友達とも少し違う。かといって恋人未満友達以上というわけではない。
どんな関係なのかを言葉にしてみるのなら、ただいまとおかえりをこの先もずっと言い合える関係、年越しもクリスマスも一緒にご飯を食べる関係、結婚届を出していないけど住所が同じ関係。それら諸々をひっくるめると一緒の部屋に二人で住んでいる関係としか言いようがない。つまり『ふたりべや』だということである。