おやすみシェヘラザード5巻を読んだ。
映画を扱っているにも関わらず私があまり映画を知らないこともあって、ギャグマンガみたいにゆる~く楽しむというスタンスをとっていたのだが、5巻の怒涛の展開に居ても立っても居られなくなってしまった。え?・・・今姉妹百合って言った?
以下感想(ネタバレがあるので注意されたし)
いきなり義理姉妹百合
おやすみシェヘラザードは性欲と眠気の狭間で揺れる主人公麻鳥の苦悩を描いた百合漫画だ。
ある日麻鳥は、プライベートではモデルもこなすミステリアスな先輩詩慧から寮の自室へと誘い込まれる。
半裸の美女と密室に二人。煽情的な下着姿とその抜群なプロポーションに麻鳥は思わずいたいけな妄想で頭がいっぱいになってしまう。
さぁ、一晩のアバンチュールが始まってしまうのか。大人の階段を昇る覚悟を決めた麻鳥をよそに、詩慧は突然映画について語り始める。詩慧は無類の映画好きだった。
急に映画・・・?今までのソレっぽい雰囲気との落差に思わず戸惑いを隠せない麻鳥。しかも、これがめちゃくちゃにつまらない。片っ端から登場人物の名前を出すので誰が誰だかわからないし、多すぎる補足情報のせいでもはやストーリーもわからない上、間延びした喋り方が猛烈に眠気を誘う。起き続けてその後は先輩と・・・という麻鳥の下心も睡眠欲の前にあえなく撃沈。目を覚ますと朝日が昇っていた。
こうして、何とか眠気に耐えて先輩をアレしたい麻鳥と眠らずに映画の話を聞いてほしい詩慧の戦いが毎晩繰り広げられていくのであった。というストーリー。
そしてなんと今回、この二人が義理の姉妹であることが判明する。義理姉妹?私の大好物ですよ!よく知ってましたね!
そこそこ長い間追ってきた百合が、最終巻にして突然姉妹百合になる喜び。他になんと例えたらいいだろうか。そういう姉妹百合の飛ばし方もあるのかとなんだか感心してしまった。
義理の姉妹という関係は強引で、暴力的な距離感でもある。
突然赤の他人と家族になれと言われる。名前がどんな漢字なのか知るところも、好きな食べ物を知るところも、休日の過ごし方を知るのも全部飛び越えて、生活の中に他人が入ってくる。朝起きたらそこに他人がいる。初めは当然距離感がギコギコする。しかし、そこから少しずつをお互いを知っていって、二人ともパセリは食べない派であることがわかり、脱ぎ散らかした服を注意できるようになり、心を開ける存在になっていく。他人から始まった関係が本物の家族になっていく。それが義理の姉妹だ。
しかし麻鳥は違う。出会ったときから詩慧に惹かれ、映画を通じて距離感を縮め、つかみどころがなく孤高な存在だった彼女と公私ともに親密な関係になった。実際はこんなにロマンチックではなく、もう少しよこしまな動機だった気もするが。
目の前の壁はもうあと少し。しかしそこで義理姉妹という関係は二人を家族という壁で引き離す。
いや、確かに家族にはなりたかったけどそうじゃないでしょうと。これじゃあ先輩の子供を産むことができないでしょうと。
麻鳥が家族という文字に一体どれだけ悩み苦しんだのか私にはわからない。義理の姉妹という関係は時に呪いにもなりえる。しかしそういう強引なところもまた好きなのだ。
何を言っているかはわからんがとにかくすごい説得力だ。
趣味を語りつづけた詩慧
最終話にて、詩慧の父親に重大な事故が発生する。ベースジャンプ(山に登り、パラグライダーで下るスポーツ)の最中だった彼は滑空中に崖に衝突。そりたつ崖から飛び出たわずかなスペースで生きながらえている状態であった。体を固定するものはなく、周りの温度は-20度、少し意識を失えばそのまま死に直結する極限の状況だ。
体力の消耗は激しいが、救助は難航中。そんな状況詩慧にミッションが課せられる。彼が眠ってしまわないように話し続けることだ。
よりによって詩慧が。口を開けば人を快眠に叩き落すあの詩慧が。父の命を救うために語らなければならない。
ひと悶着の後、覚悟を決めた彼女は瞳に強い意志を讃えて語り始める。
そこには支離滅裂で内容もめちゃくちゃなかつての姿はなかった。麻鳥に語り続けたあの夜たちがいつの間にか彼女の語りを抜群にうまくしていたのだ。
詩慧は映画について語り続ける。自分を救った映画が今度は父の命を救うと信じて。
こうして、父を好きにも嫌いになれずにいた苦しみから吹っ切れた詩慧の覚悟と母が彼女に残した愛情が彼の命を繋ぐことになったのだけれど、これは映画への愛とこの面白さをどうにかして伝えたいという感情の共有が彼女を成長させ、彼を救ったとも言える。そしてブログで同じようなことをしている私からすると、なんかいい話だなと感じてしまうのだ。
もちろん私がネットの片隅で熱く語ったところで詩慧のように誰かの命を救えるなんてことは絶対起こらない。だけど、語り続けてきたこれまでの時間が何か一つの意味をもたらすというのは、ブロガーとしてはちょっと救われたようで胸があったかくなったりもするのだ。
別に映画が好きではない私がこのマンガを最終巻まで追ってきたのは、もちろん百合だからという理由もあるけれど、趣味を語る者としての詩慧に何か共感していたのかもしれない。と、最後のページを閉じてふと思った。