またガルパンを見ている。去年の今頃もガルパンを見て、今年の春もガルパンを見て、そして今またガルパンを見ている。
既に満腹中枢は壊れてしまったため、飽きたなという感情は無い。見るたびに毎回新鮮な感動がある。同じ話でも二回目の鑑賞では二回目でしか知りえなかった発見が、三回目には三回目の発見がある。そして三回目の発見が新たな気づきを与え、四回目の発見を生む。
もうだめだ。ガルパンしか見れない体になってしまった。もう一生ガルパンを見続けるだろうという予感がある。
アニメを見るだけでは飽き足らず、まだ見ぬ情報を求めて劇場版のノベライズにも手を出してみた。正にドンピシャだった。ノベライズは映画で端折られている裏話の宝庫で、読むほどに新たなガルパンの情報がグングンと私の骨肉に変わっていくのを感じる。死ぬほど見た話で知らない会話が展開されているとゾクゾクくる。
ノベライズでは大学選抜との戦いでの戦車の動き、戦況、能力がより詳細な情報でもって描かれている。すると大洗がいかに無茶な戦いを強いられていたのかがより鮮明に浮かび上がってくる。
まず改めて語らなければならないのが、パーシングの強さについてである。
大学選抜の標準的な戦車として投入され、使用車輛のほとんどの割合を占めていたのがパーシングだ。T-28、カール自走臼砲、センチュリオンのような目立ったスタンドプレーはないため、戦車にあまり詳しくない私からすると「あー、あのモブが乗ってる・・・」という感覚の戦車でもある。
しかし、このパーシング、実際どれくらい強いのかというと、なんと大洗最高戦力のポルシェティーガー(レオポンさんチーム)と同等なのである。それが大学選抜には24輌。将棋で例えるなら大洗の飛車角を、相手は歩として使うことができるのだ。
具体的にどれくらい強いのかを数値で語ると、例えば三凸(カバさんチーム)やヘッツァー(カメさんチーム)は大洗の優秀なアタッカーとして劇中で活躍したが、それらがたとえ100mまでパーシングに近づいたとしてもその正面装甲を撃ち抜くことはできない。が、パーシングはなんと2000m先から大洗の全車輌を撃ち抜ける。なんというスペックの暴力。
そしてこのお化けのような戦車を日本中から選び抜かれた、最高の練度を持つ乗員が操るのである。最高のハードウェアに最高のソフトウェア。スペックだけで見れば、大洗がパーシング一両に全滅させられた可能性もあったのだ。
アニメではそこまで語られていなかったが、戦車道に絶対的なルールとして存在しているのが“抜ける””抜けない”という問題である。
ある戦車が敵戦車に砲撃する場合を考える。撃つ側の砲の大きさと敵戦車の装甲の厚さ、そこにお互いの距離を考慮することでその戦車を撃ち抜けるか抜けないかは撃つ前から計算で割り出されてしまう。80mmの装甲貫通力を持つ戦車が100mmの装甲を撃ち抜くことはできない。どんなに頑張ったとしても物理的に抜けないものは抜けないのだ。こればかりはバレー部の根性でもどうにもならない。
戦車道はドッジボールとは違う。やぶれかぶれでフラッグ車を撃ったら勝てたとかいう勝ち方は存在しない。もし三凸がパーシングを撃破しようとしたら2000m先からの砲撃をかいくぐり100m以内に肉薄するための策が絶対に必要なのだ。「戦車道にまぐれなし」という家元の言葉は、このスポーツの厳しさをよく表していることがわかる。
ノベライズでは敵味方のデータを用いて”抜ける””抜けない”の問題がかなり詳細に語られている。
映像で見ると対等に撃ち合えているように見えるが、実際にはどうしようもないスペックの差があり、戦いにすらなっていないことが数値でわかってしまう。例えば知波単学園のチハにおいてはゼロ距離であってもパーシングの側面すら抜けないらしい。そりゃ「突撃して潔く散りましょうぞ」という精神になってもおかしくないよなと思う。
各乗員は戦車道を往く者として自分の戦車が何m先で何mmの装甲を抜けるのかを頭に叩き込んでいる。皆絶望的なスペックの差、できることできないことを理解した上で、それでも決して諦めず死に物狂いで勝ち筋を探していたのだ。
このノベライズは、劇場版が好きな人には非常におススメできる。
エキシビジョンマッチが開かれた経緯や、「まったーーーーーーー!!!!!」のシーンのために裏でダージリンが頑張って根回ししている様子とかそういう舞台裏の話もたくさん入っている。
他にも、些細な動きに過ぎなかった戦車の挙動が実はどんな意図があったのか描写されるので、一連の戦闘が実は超絶技巧の応酬であることがわかったりしてまたガルパンがみたくなりますよきっと。