(ここでは大人と未成年の百合を広義なおねロリとして扱います)
おねロリの核とは何か。
その問いに、私は『おねの倫理観』と答えたい。
おねロリはごま油の圧搾である。おねをロリからの愛と社会的規範の間ですり潰し、絞り出された一滴の答えにおねロリの全てが詰まっているのだと。おねロリとはすなわち、おねがロリと出会って答えを出すまでの旅路のことなのだと。だからより良い油を精製するためにもおねの倫理観はなくてはならないはずだと。
というのが私が生まれて初めて発した言葉なのだが、ここにきて倫理観ゆるめのおねが出てきてだいぶ揺らいでいる。唸った。り、倫理観…なくてもいいかもな…。
焼肉定食先生の『人妻とJK』1巻。
娘の友人陽向から猛アタックを受ける人妻深月の物語。と、書くとおねがなんとか理性をフル稼働させ土俵際で粘っているような感じがするが、このおね、もうとっくに陥落している。
おねロリの中で、ロリはいつだって自らの愛に素直だ。社会に縛られることのない彼女らはあの手この手でおねを誘惑する。そこにはいつだって真っ直ぐな愛情がある。
その一方でおねは苦しい。何も悩むことなくイノセントなロリの愛に素直に答えられたらどれだけ嬉しいだろうか。いつだって手綱を握るのはおねなのだ。
それに引き換え、このおねは倫理観が薄い。
『旦那がいるので不倫になる』、という事実についてはそもそもあまり問題視しておらず、『娘の友人』『未成年』についてのみ「まぁ良くはないわな」くらいに思っているがムラムラするとその辺も吹き飛ぶ。というか一話で二人でラブホに行っている時点でオイオイオイオイ、この二人にとって超えてはいけないラインはスタートラインである。
一応”母なので自制してますよ”という感じは出してはいるものの、自宅で授乳プレイや娘の前で愛撫などやりたい放題なのでもう全く説得力がない。
「倫理観ゆるゆるでする百合えっち、いいやろ?」と私の中の悪魔が囁く。た、確かに・・・一理ある・・・。
「背徳感なんて盛り上げるためのスパイス、そうだろ?」それは・・・百理ある。
↑馴れ初めのライン。二回目の返信でもう既に陥落している。食いつき過ぎなのである。
一言目の毅然とした母の態度はどこへ行った。というか、からかってなかったとしてもでしょ。
↑この言葉はなんかもう本当にいろいろとすごい。しかもなんかいい雰囲気で言っている。嬉しそう。
↑陽向の愛は眩し過ぎるほどに真っ直ぐだ。
二人が楽しそうで何よりなのだが、この関係に実の娘が入り込みそうな展開になっている。果たして娘の介入で母はブレーキをかけることができるのか!?それとも本当に行くところまで行ってしまうのか!?
私は後者にオールベットだ。