『安達としまむら』がえらいことになっている。
待望のアニメがついに公開し、さらにコミカライズ2巻と原作9巻が後に続いたことで、三種のメディアで同時供給されるという異常事態が起こっている。安達としまむらの国で石油が湧いている。
時間軸で表すとこうである。
・出会い編(アニメ)
・1年目のクリスマス(漫画2巻)
・2年目のクリスマス(小説9巻)
三点で安達としまむらが並行展開されている。2年半も新刊が出なくて、検索ワードに安達としまむらと入れたら打ち切りという物騒なワードが出てきたあの頃がまるで嘘のようだ。ほんとにえらいことになっている。
そして漫画の2巻。素晴らしすぎる。
1巻を初めて読んだときなんと素晴らしいコミカライズだと思ったが、2巻を読んだときもなんと素晴らしいコミカライズだと思った。これは……この漫画は……最高だ。
2巻で描かれるのは、クリスマスという一大イベントを控え、最愛のしまむらそして内なる自分に翻弄される安達の姿である。
↑他人を必要としない。他人を必要とする。これらは自分の意思の問題でどうにでもなる。だが他人に必要とされるにはどうしたらいいだろう?
↑ニヒルなしまむらの自意識
↑安達ーーーーーー!!!!!さすがに健気が過ぎる。
『安達としまむら』を映像や漫画で展開するのはかなり難しいように思う。
独白や心情描写がかなり多く、そこを省いて人物の動きだけを表現するとかなり淡白な日常系ということになってしまう。安達としまむらが一緒に帰ったり、たまに遊びに行くのが『安達としまむら』なのかと言われるとそれは違う。が、かと言って原作の地の文を余すことなく全部書いたら完璧なコミカライズになるかというとそれも違う。それは漫画という名の小説だ。
このコミカライズは原作の持つ雰囲気を漫画として表現するのが本当に上手い。
身の回りで起こるささやかな出来事が彼女らの精神を刺激して、自意識や信念が引きずり出されていく。なんて事ない日常を通して彼女らの思考が展開されていく。そんな原作の雰囲気、空気感が余す事なく漫画で再現されている。
どこの心理描写が省かれ、どこがオリジナルなのかといった詳細まではわからないが、とにかく足りないという事がなく余るという事もないように感じた。この辺のバランスについては相当練って考えられている気がする。
↑安達’s母
さらに今回、原作9巻で安達の母がガッツリと再登場する。そして舞台は二度目のクリスマスである。
私たちは漫画版で安達’s母を見ることで、原作でより彼女の人物像がくっきりと浮かび上がるようになり、さらに漫画版で1度目のクリスマスを読むことで、原作での2度目のクリスマスで関係性がどう変わったのかという違いをより楽しむ事ができるというわけだ。これは三軸同時展開の強みである。
↑クリスマスの勝負服にチャイナドレスを選んだ安達。さて2度目のクリスマスでは一体どんな服でくるのか。私はあのシーンで思わずぶははと笑ってしまった。
ギクシャクしながらしまむらの手を握っていた安達がその1年後、しまむらに手を握られている。二人が積み重ねてきた”これまで”に想いを馳せてしまう。
安達としまむら、最高に楽しんでるぜ。