表情の破壊力が凄すぎて百回くらい死んだ【漫画安達としまむら 1巻】

表情の破壊力が凄すぎて百回くらい死んだ【漫画安達としまむら 1巻】

 

安達としまむら(1) (電撃コミックスNEXT)

『安達としまむら』は入間人間先生の同名小説のコミカライズ版となる。描いているのは柚原もけ先生。

この作品はたまに『女子高生のゆるい日常』のようなキャッチコピーで紹介されることがあるのだが、とりあえず「嘘をつくのはよせ。」という気持ちになる。わかってて言っているのなら、なかなかの狸である。

何も知らない日常系好きを感情地獄に叩き落すのは楽しいか? いやまぁ楽しそうではある。

ともかく、ほんわかしたイメージで紹介されることもあるこの作品だが、この漫画の帯は「しまむらとキスをする夢を見た」「しまむらが友達という言葉を聞いて、私を最初に思い浮かべて欲しい」となっている。ただならぬ雰囲気である。

かわいいことを言っているようで、どことなく漂う緊張感。このヒリつきこそ安達としまむらだ。この帯を見た瞬間に私の信頼は盤石になった。このコミカライズは間違いない。

 

というわけで感想。原作既読組の感想なのであしからず。

 

 

素行不良な女子高生しまむらが孤独を求めて体育館二階に行くと、そこにはもう一人の素行不良女子高生、安達がいた。

二人はたまに卓球をし、ぽつりぽつりと会話をし、特に親交を深めるわけでもなく授業をさぼりながらそこでただただゆるやかな時を過ごしていた。

 

一話を読んで最初に思うこと。安達と呼ばれるこの黒髪の女は誰、ということである。

私の知っている安達は重過ぎる感情を抱えた女だ。臨界点ギリギリまでしまむらへの感情を貯め込んだ人間爆弾である。しまむらを太陽と崇拝し、他の女と歩いている彼女を見れば5ページにわたり独占欲を吐き出してしまう女である。

少なくともこんな軽やかにしまむらの膝に頭を乗せられるわけがないし、しまむらに淀みなく「美人」などと言えるはずがない。

あまりにも今と違い過ぎる彼女の姿には、懐かしさを通り越して困惑すら覚えてしまう。完全に別人格だ。

恐らくアニメの『安達としまむら』で初期安達を見たときも同じ感想が出てくるんだろうな。

 

 

『安達としまむら』の魅力の一つが、繊細かつ重厚な心理・心情描写だ。

特に百合的に重要なのは、他者に対する考え方だろう。しまむらはどうして他者と距離を置いてしまうのか、安達がいかにしまむらだけを特別な存在としているか、地の文で過不足なく語られているからこそ、二人のやりとりがありがたく感じられるのだ。

だが漫画でそれをやろうとすると難しい。紙面がほぼ文字だらけになってしまう。

じゃあどうやって心情を描写するか?という問題に対するこの漫画の答えが、『表情という表現をふんだんに活かす。』なのである。 柚原もけ先生の描く表情がとにかく素晴らしすぎる。

 

例えば次のシーン。

安達としまむらの放課後の寄り道は、安達の突然の手つなぎにより甘く気恥ずかしいデートと化した。とっぴな行動を受け入れてくれたしまむらに、安達は照れながらも満足げな表情を見せる。

しかし、二人の時間は長くは続かなかった。しまむらの友人に出くわしてしまったのだ。

そしてこれはしまむらと友人が他愛ない会話を始めた後の一コマだ。

さっきまであんなにデレデレしていた人間がこうも他人行儀になれるのか。安達の笑顔が消えたのと同時に、それまでの甘ったるく恍惚とした雰囲気がごっそりと抜け落ちたのがわかる。恐ろしいほどの冷め具合が伝わってくる。

 

 

さらにいくつか挙げる。

ボウリングで安達とヤチーのどちらを応援するのか選択を迫られるしまむら。一見コミカルな場面だが、あまりに迫真なしまむらの顔からは、困惑以上に恐怖の表情が読み取れる。彼女の他人との関係に対する拒否感はかなり根深いところにあるのだろう。

 

しまむらにちょっかいを出すヤチーに対抗し、しまむらのお腹をつまむ安達。じゃれあいにしては顔が本気すぎる。他愛ない友人とのスキンシップでも安達からしてみれば勇気がいる行動だったのかもしれない。

 

あげたら本当にキリがない。どのコマも表情の表現力が凄すぎる。

全てのコマの破壊力が高すぎて”一コマ一殺”の域にまで達している。どのシーンもなんだばしゃあああ案件である。

これで2巻に期待するなという方が無理があるでしょう。

 

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