ヤマシタトモコ先生の『違国日記』1巻です。
百合です!!!って感じの宣伝がされてなかったのでなんとな~くスルーしちゃってたんですけど表紙見たら好みの画風だったので購入しました。
ヤマシタトモコ先生はBLなども描かれているということですが、BL作家さんの描かれる百合好きなんですよね~。
画風が好き。
会話のセンスが好き。
BLの表紙見てると「あ~この絵で百合描いてくれないかな~」と度々思ったことも。
以下感想
事故で両親を亡くした少女朝。 身を寄せる場所のない朝は、母の妹である槙生の元へと預けられることになる。
二人は所詮他人同士。 恋愛感情があるわけでもないし、意気投合してるわけでもない。
変に盛り上がるようなシーンもないし、会話もポツポツ。
でもこの二人の間の距離感が読んでいてどうにも心地が良いのね。
お互いに無理をしてない距離っていうの? 地に足がついている生活をしているだけなんだけど。
いい大人のくせに人見知りな槙生と犬っぽい朝のどこかぎこちなさの残る日常が寝起きで飲むコンソメスープのようにスッと心に沁み込んできます。
会話のセンスや人間味に溢れたキャラクターにも作者のセンスが出ています。
というかBL描いてる人って会話の間の作り方が上手すぎる気が。
何気ない会話だけでも間だけで一瞬で漫画に引きこんでくるパワーがあるよね。
雁須磨子先生とか志村貴子先生とか。
夜中に槙生が作業する横で布団を敷いて寝る朝。
キーボードの叩く音やパソコンの薄明りの中で眠るのが朝のお気に入りなんだけど、その気持ちすごい分かる。
誰かが起きている隣で寝るって異様な安心感あるよね。
自分に意識を向けられると気になって眠れないので、その人が別の何かに集中してるとなお良し。
このシーンすごく印象的でなんでかなと考えてみたら、
そういえば昔はリビングの隣の部屋で寝ていたので、隣の部屋で誰かが起きている状況で寝るのが普通だったってことを10年ぶりくらいに思い出した。
どおりでなんとなく懐かしさも感じたわけだ。
槙生は不器用で気ままで親戚からもだめな人扱いされてますが、姉の葬式で啖呵を切ったシーンはほんとにかっこよかった。
遺児の前でその子をたらいまわしするとかもう醜悪としか言いようがない。
両親を亡くした子供の前で、しかも葬式直後にお前ら・・・。
そんな腐った雰囲気の中で「わたしは決してあなたを踏みにじらない」と言い放つ姿はもう人として美しかったと思う。
というか槙生は人の感受性をすごく大切にしてるんだなーと感じる。
日記の件然り、自分がかなしいのかわからなくなっている朝に声をかけるシーン然り。
やっぱりその辺は小説家、さらに言えば表現者ならではの感性だよね。
槙生は朝に日記を書くといいと言う。
「日記は」
「今 書きたいことを書けばいい 書きたくないことは書かなくていい」
「ほんとうのことを書く必要もない」
日記って優しいよね・・・。 SNSにはない大らかさがあるよね。
かっこつけたこと書いてもいいし、言葉を飾らなくてもいい。
人に見せるわけでもないから他人にとやかく言われることも決してない。
かくいう自分ももう10年くらい日記つけてます。
日記というよりは思ったことを書き綴っているだけですが。
今まで日記書いてる人に出会ったことがないので、槙生の言葉は久々にわかってくれる人が現れたようでとても共感しました。
大人になってからつける朝顔の観察日記なんて想像しただけで楽しそう(やろうとは思わない)。
あとちょいちょい槙生の回想で出てくる朝のお母さん。
槙生は死んでなお憎しみが消えないと言い張るほど嫌いなようですが、朝の回想ではそのような悪いイメージでは出てきません。
この辺は後々また展開として浮かび上がってくるのかな?
朝の「悲しくなったら悲しんだらいい」辺りと絡めて話が進みそう。
というわけで『違国日記』1巻でした。
タイプの違う二人がちょっとぎこちなくてちょっと不慣れな生活を送るというキャッキャウフフ系とは全く異なった作品で、百合!!という強い圧はないですが百合好きの人であれば是非読んでほしいです。
個人的にはこのまま二人がゆるく生活している様が描かれるだけで面白いのでそれでもいいですが、・・・まぁ話は展開されるでしょうね。
お母さんのこともあるしね・・・。 どうなるんだろうね。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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